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彼らのアジェンダ

春休み最終日、関ヶ原に男チームで出掛けた。
彼らは学校は異なるが、夏休みからの顔見知りである。
車に乗り込むや否や、例の話題が始まった。

彼らのアジェンダ、それは「人体の下流側」の話に尽きるといっても過言ではない。
一日はそのアジェンダに始まり、そのアジェンダで終わる。
そして彼らは、彼らにとって特別な意味をもつ単語を繰り返し唱和する。
そのうちに、
お茶を吐き出し、腹を捩らせ、擬音を発し、時には涙を流しながら、シート上でもだえるのである。
それほどまでに彼らを突き動かすものとは、一体何なのだろうか。

後席では情報交換が活発なようである。
もうすぐ目的地に着く。
車内とは違い、公共の場ではクールダウンが必要である。
しかし彼らに正論は通用しない。
彼らの心はすでにひとつである。
感情的になればなるほど、彼らの術中に嵌ることとなる。
ここはソフトランディングが理想であるが、私には苦い経験がある。

年末の車内、
後席では「気体」に関する議論が交わされていた。
議論は長く、放置すれば紛糾する可能性も高いと判断し、私は介入を試みた。
「みんな、したくなった時は、必ず申告してください。先に窓開けとくから」
どしんどしん、と足を踏み鳴らす音が聞こえた。
バックミラーを見ると、彼らの目は喜悦に満ちている。
窓ガラスが曇ってきた。
議論は再開し、アジェンダは「気体」から「固形物」に移ったようである。

結果的にいえば、関ヶ原についた途端、彼らの頭は戦国武将で埋め尽くされたようである。
席をめぐる小競り合いはあったが、映像が始まった途端、車中とは一転、息を呑んで魅入っていた。

彼らの一日の意識の推移を以下に類推する。
「例のアジェンダ」→「戦国武将」→「小遣い」→「ジュース」→「土産」→「虫」→
「飯」→「デザート」→「例のアジェンダ」→「おやつ」→「戻ったら何して遊ぶか」→
「課題」(ごく一部)→「晩飯」→「明日の学校の準備」(ごく一部)
そう考えれば、比較的多彩な一日を過ごせたに違いない。

大人のタブーをあえて話題にする、という説は確かに納得できる。
しかし、こと彼らに関しては、それだけではなさそうである。

男女問わず、多かれ少なかれ、誰もが通る道であるに違いない。
自らも心あたりがある。
給食で鼻から牛乳が出るほどに狂喜していたことを。
祖母から注意されればされるほど、奇声をあげ走り回っていたことを。
その名残は少なからず残っている。
「子ども心」を持ち続けた志村けんは私のカリスマである。

それにしても、あれだけ腹を捩らせられるなんて、実に痛快である。
きっと彼らにとって、例のアジェンダは重要な意味を持っているに違いない。
アジェンダを共有することで、友情を確かめ合い、そして深め合っているのであろう。

春休み最終日の夕方。
「じゃあ、次、夏休みな」
「またな」
手を振り帰っていく彼ら。

ほらね。
やっぱり友情だったんだね。

でもそれだけで、あんな涙を流し、腹がちぎれそうになるほど笑う必要があるだろうか。
まあ、いいや。楽しい一日だったし。

じゃあ、また。
夏休み待ってるぜ。