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学童開所に到る経緯について

「何を思っていきなり学童をやろうと思ったの?」訊かれる事もありますし、不思議に思われている方もいらっしゃると思います。
ここに改めて開所に到る経緯を説明しようと思います。
私は昨年まで某商社に営業職として25年間勤務しておりました。
電力会社・機械メーカーさん等を主要顧客に、部品販売や現場工事、開発的なこともしておりました。とても充実した、いい2~30代を過ごさせてもらえたと思います。
しかしながら、組織に属するものの宿命、いずれ「卒業」がやってきます。その時、自分には何が残っているだろうか・・・。ここ2年くらい、50を目前にし、うっすらと自問するようになりました。70歳を過ぎても人間と繋がり、張合いがある生活が出来たら理想だ、できれば人の役にも立ち、経済的にもぼちぼちと・・。今から準備せねば。
息子が通っていることもあり、将来、学童の開所をひとつの候補、目標として考えるようになりました。
そんなある日、寝転がりながら、暇つぶしに、あくまで参考のつもりで賃貸相場を検索してみました。
物件(後にお世話になる)が出てきました。「変な物件だな」いったんは流したのですが、妙にひっかかります。「気になる・・」お気にいりに登録しました。
後日、後学のためと半分冷やかしで見学を申し込みました。
がらんとした砂利の駐車場でしたが、見た途端、「面白いかも」
人工芝の緑のイメージが湧きあがりました。
またその頃、私自身に「放課後児童支援員」の受講資格があることもわかりました。

「物件」が頭にこびりついて離れません。
ただ「物件」はいつまでも待ってくれません。
悩みました。
自分なりに町を歩き、人口推計など地域性を調査しました。
散歩しながら「今やらなかったらもうやろうと思わないかも」と思案しました。
織田信長は48目前で亡くなっています。有吉さん、千原ジュニアさん他、そうそうたるお笑いの方たちは、40代後半から黄金期に入ったように映ります。そうそうチャンスはこないだろう。
偶然HIDEさんの「ロケットダイブ」がかかっていました。「何年待っていても、なにも降って来やしない」フレーズが耳に残りました。
自営業の社長に相談しました。「田中さん、これは行くべきだね。死ぬときに、ああ、やっとけばよかった、ってきっと思うよ。」
肚を決めました。
賃貸契約には自治体への「学童」として使用する申請が必要でした。同時に採算性も含めた事業計画書の提出を求められました。当然、金融機関への相談も必要になります。
提出後、ほどなく、OKがもらえました。
湖に浮かべてたボートが、いつのまにか川に入ってしまったように感じました。
そこからは実務的な作業の連続となります。
「学童」に対してはそれなりの思いがあります。
小1のころ、当時は珍しい学童に通っていました。
毎日、銃器の絵を左上から順番に描いて、先生から「大丈夫?」と心配されていたことを覚えています。大変申し訳ない話ですが、退屈でした。40年経過しているにもかかわらず記憶は鮮明です。
数人の子たちがいました。それぞれに「自分は親に預けられているのかなあ」と、敏感に肌身で感じていたのかもしれません。かつての学童に少々薄暗いイメージを持っていたことは否定できません。
時代は変わりました。
私は光が差し込み、風が通る、明るい環境にこだわります。
出入り口は改造して2か所増やしました。
学童はさらに明るく、楽しい場所しなければと思っております。

2年前、自分自身、このような事をしているなんて全く想像もしておりませんでした。
いまでも朝起きると「あ、俺、学童やってたんだ」と思うことがしばしばです。
試行錯誤の毎日が続きます。