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両者の言い分

けんかの時、双方は必ず「相手が先に手を出した」と主張します。
大人も子どもも、そして国際間の戦争においても、当事者は必ずといっていいほどこのことを繰り返します。
しかしながら、同時はありえず、事実としてどちらか片方が先に手を出したことは間違いありません。
いずれにせよ、ここに矛盾が生じます。
記憶が曖昧だからか、それともどちらかが嘘をついているのか、遡っての事実確認は容易ではありません。
暴力行為の場合は目視できる現象として立証できる可能性がありますが、「言葉の暴力」の場合はより難しくなります。そこには複雑な背景が存在します。
大事な事は「事実がどうだったか」を真摯に追究することだと考えます。
感情を排し、双方の言い分を平等に聞く。
例えば差別的な侮辱を受けたなど、汲み取るべき事情があるかもしれません。
それでも、先に手を出した、という事実はやはり重い行為であると考えます。
暴力行為はいかなる理由があろうとも許してはいけません。


けんかでは双方の感情は激しくスパークします。
興奮状態での事実確認は容易ではありません。
「あいつならやりかねない」「またか」
第三者として冷静に見ているつもりでも、先入観を捨てきれないのが人間だと思います。

親御さんには言いにくい事があります。
「うちの子がそんなことするわけがない」
ではなぜ双方で喧嘩になったのか。ここにも矛盾が生じます。善悪で割り切れない、なにがしかの背景があるはずです。

親としてわが子を全面的に支持するのは当然の事です。これが、まさに親ということであり、大きな「愛」ともいえるでしょう。
しかしながら、トラブルには親御さんの知らない、何らかの側面が潜んでいる場合が多くあります。

「学校でこんなことされた」「嫌な奴がいる「あの先生大好き」
よくも悪くも、子供さんのフィルターを通した印象は、親御さんにとても大きな影響を与えることは間違いありません。
そして、悪い言い方をすれば、知らず知らずのうちに客観的思考を無くし、考えが一体化してしまう。
一種の「洗脳」状態である、とはいい過ぎでしょうか。大人としての然るべきアドバイスができない親子一体化、過保護は、思春期を迎える子どもさんの成長を妨げる、大きな要因になると私は考えています。

親はいつかいなくなります。
来たるべき子ども達のX デイ。
その時に自分の足でしっかりと立ってもらわないと、親は安心して死ねませんね。