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あの夏の日の出来事を、私は生涯忘れることはないだろう。
どこに出掛けたのか、はっきりとした記憶はない。
ただ、その日がやけに暑かったことは覚えている。
帰りの車中、心地よく効くエアコンに子ども達は寝息を立てていた。
少々疲れてはいたが、ハンドルを握る私の心は充足感に満たされていた。
駐車場に着くやいなや、子ども達は駆け出した。
私も鍵を片手に子ども達を追いかけた。
入口に群がる子ども達。
私は鍵を開けた。
子ども達は靴を脱ぎ、室内に殺到した。
私が下駄箱に靴を入れようとすると、無情にも目の前の引き戸が閉じられた。
ガラス越しに、1年生M子の後ろ姿が映る。
ガチャリ
鍵がかけられた。
(いつものやつか・・。
それにしても・・)
今日に限って、なぜこんなに午後の日差しが強いのか。
(暑い・・)
首筋に汗がまとわりつく。
ゴンゴンゴン
「開けて」
ゴンゴンゴンゴン!
「早く開けて」
私は少し疲れていた。
ガンガンガンガン!!
「もういいから開けて!」
深呼吸をひとつする。
「おやつにするから開けて!」
ガチャリ
鍵はあっさりと開けられた。
M子が私を出迎えてくれた。
私はまずお礼を言った。
「ありがとう」
時計をみた。
15時。
誰も居ないはずの私の耳元で「誰か」が囁いた。
頬が緩む。
「おやつは何?」
無邪気な顔のM子。
「いいのがあるんだ。いいのがあるんだ。
今日は特別にさ」
私は冷蔵庫に向かった。
「なになに?」
「最高のものだよ」
「なに?教えて」
「それはお楽しみ、と。
ちょっとそっちで待っててくださいね、っと」
私は冷蔵庫に近づこうとするM子を制した。
そして扉を開け、よく冷えたものを取り出す。
素早く水で洗い、大皿に載せた。
「お待たせ!」
私は重たくなった大皿を頭上に掲げた。
子ども達が周囲を取り囲む。
M子は目を輝かせ、天に向かって両手を伸ばした。
「ではでは!」
私は勢いよく、大皿を腰の高さにおろした。
「じゃーん!」
全ての視線が大皿に注がれた。
大皿に盛られた「小さな丸いもの」
それは真っ赤な畑の宝石。
赤いといっても、円錐形でもなく、ぶつぶつも無い。
独特の酸味をもつそれは、まん丸で美しく、そして妖しげな光沢を放つ。
場が静まりかえった。
「ははははは!」
私は空気を破るため自ら笑った。
「なんだよ~!」
「期待して損した~!」
子ども達のため息まじりの引きつった笑いが起こる。
M子が気になった。
私はM子を盗み見た。
M子は突っ立っていた。
口は半分開かれたまま、視線は宙をさまよう。
まるでM子の周りだけ、時間が停まってしまったかのように。
大きく見開かれた目。
その目にみるみると涙が溢れ出した。
大粒の涙が頬をつたう。
まるで、今日、世界が終わってしまう、とでも信じているかのように。
床が涙で濡れる。
M子の赤く血走った目が私をとらえた。
「き、嫌いって何回も、い、い、言ったじゃん!」
嗚咽をこらえながら、言葉を絞り出す。
私は逃げ場を失う。
「お、お、お弁当にも、い、入れないでって、マ、ママにも何回も・・!」
「で、でも、パスタでなら食べられるって言って・・・」
「それとこれとは別!!」
M子が詰め寄る。
「うっ、うっ、あ、あ、あんなに、だ、だ、大きらいって言ってたのにぃ!!!」
(どうしたらいいんだ?)
私は天を仰いだ。
(耳元で囁いた「誰か」!教えてくれ!)
何回訊いても「誰か」は囁いてくれない。
「もう大丈夫だからね」
上級生の慰めにM子の涙は少しづつ乾く。
「嫌いだったよね」
優しく頭を撫でられた。
夏、畑に実るあの赤い粒。
あの酸味とともに、私はあの出来事を思い出す。
でも、あの時、耳元で囁いたのは誰なんだ?
暑さでどうかしていたんだろうか。
いや、でもきっといるな。
なぜなら「奴」は、いつも必ず15時くらいに出てきて耳元で囁くんだ。
そしてそのあとは、絶対に囁かない。
沈黙を貫くんだ。
いつものことだよ。
